Circadianism2

分刻みの生活をどう生きるのか
最大の課題ですね
社会構造を変えるにはとてつもなく膨大な問題があるし
かといって、本来のあるべきリズム(Circadian rhythm)
で生きれば、少なくとも資本主義社会からは離脱せざるを
得なくなってくる。
この悠久のリズム(Circadian rhythm)こそが、アムリタであることは
誰もがわかっているのに、実行ができないでいます。
今か今かと青信号を待つ人
まだかまだかとお店で順番を待つ人
仕事に遅れそうで駆けてゆく人
クラクションを鳴らす運転手・・・
都会に行くほど、自然の享受は少なくなり
チクタクチクタクと時刻を刻むリズムが主役となり
人々のこころは刺さるように、殺伐としてゆきます。
いったい、私たちは何をしてるのでしょ!?
この、根底には
突き詰めてゆくと、「比較」というものがあります。
悠久のリズムに私たちは、時計という物差しをあてがい
早い、遅い、の比較ができるようになりました。
それまでは、目に見えるものを比較するだけで良かったのですが
時間という尺度を時計によって視覚化にすることにより
比較する対象が一次元増えてしまい、大変なことになってしまったのです。
この時から、悠久のリズムは人間の意識から
はるか彼方に遠ざかってしまいました。
まるで母なる、ゆらぎから切り離されたかのようです。
だから、私たちは寂しいのです。
これを、取り戻すには
「比較」という意識をやめなければなりません。
それしか、具体的な手段がないというのが
今の私の答えです。
そういう、私、全くできてません。
「比較」しまくってます。
でも、幸せになりたいので「比較」からの卒業に
トライしてみようと思います。

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